往年のゲーム『FINAL FANTASY VI』の冒頭に、こんな記述がある。魔大戦 そう……………こむちゃ世界の平穏を脅かす『浜松町の自賛乙』がまた動き出してしまったのだ。 年初以降、少しずつではあるが風向きが怪しくなってきたこのこむちゃ世界。明らかに陽が翳ったのは1月25日の「『こむちゃフェス2014・in野音』開催決定」発言だ。 吹き荒れる風は勢いを増し、垂れこめる暗雲は厚みを増す。緊張が走るこむちゃ世界に発せられた3月29日の「『こむちゃっとカウントダウン・ボーカルCD2014』発売決定」発言…………… すなわち…………… 自 賛 乙 軍 か ら の 最 後 通 牒 だ 。 そして『3年前の7月の再来』とも云うべき『3週にわたるOP自己推し』の後、ついに迎えた6月7日……………自賛乙軍の侵攻が始まった……………。 おそらく、彼等の当面の目標は『音ノ木坂学院』、そして最終的には『ゆかり王国』に針路を向けるのだろう。 あたしは、こむチャート決定システムの中に『(新曲の)ランクイン可否判定』が存在するのではないかと考えている。 歌手特性、楽曲・タイアップ特性、流通・売上特性がそれに絡んでいると思われる。 『単純キャラソンは滅多にランクインできない』とか『売上レベルが低ければ人気作品・歌手の曲でもランクインできない』というのは、その『ランクイン可否判定』で弾かれているからだと推測される。 そして、この『ランクイン可否判定』を通った新曲候補だけが、改めて既存曲との『(リクエスト票を中心とした)順位判定』にかけられるのではないかとにらんでいる。 ところが、ある一定のレベルで運用されているはずのこの『ランクイン可否判定』が、極端に緩むときがある。 一つめが、『特定の曲・歌手に対する障害・妨害』をするとき。 既存のある曲のランクアップを止める、もしくは早くランクダウンさせる。同じ週あるいは1〜2週後の新曲候補をブロックする。という目論見で為されていると考えられる。よく『特定の歌手に辛い(甘い)判定』とか云う、いわゆる『浜松町の行動原理』『謎の組織の仕業』と呼ばれるものがこれだ。 そして二つめが、『自己都合で曲を強引にねじ込む』とき。 明らかに『ランクイン可否判定で弾かれるべき曲』が強引にねじ込まれたのは、3年前のあの忌々しき『浜松町の自賛乙事件』がいい典型ではないか。 しかも厄介なことに、一旦ランクインを果たしてしまうとそれ以降はその曲の資質問題が一切問われなくなるのだ。 それは『スプリットシングルの2曲目』や『(一般流通のない)映画グッズ曲』の成果が如実に示している。 あくまでも『曲のスペック問題』が問われるのは『ランクイン可否判定』のときだけなのだ。 あたしは3年前のときと同様、今回も『こむちゃCDをランクイン対象にすること自体が問題だ』という立場をとっている。 今回の件を「『第2次浜松町の自賛乙戦争』勃発」と称したのは決して大袈裟なことなんかではない。浜松町にとっての最大の障壁『ランクイン可否判定』をすり抜けさせた事自体が大問題なのだ。3年前のコラム『こむちゃ世界滅亡論』でも、 ランクインの可否判定さえクリアしてしまえば、あとは彼ら信奉者がどうとでもしてくれる。 うまくいけば週間1位、事によっては年間さえもいけるんじゃないか。 ・・・・・という思惑が浜松町にはあったのだろう。 と書いた。そして、 すべては『浜松町が描いたシナリオ通り』に進んでしまったのだ。 ついに『こむちゃ史上最悪のカタストロフ』が起こってしまった・・・・・。 『楽屋オチ』同然のモノが『最大級の自画自賛』をやってのけたのだ。浜松町はさぞかし気分がいいであろう。 という結末に至ってしまった。 『こむちゃCD』が再び入り込んでしまった以上、この破滅的シナリオをトレースしてしまう危険性は十分にある。何せ相手はあの『浜松町の自賛乙』だ。希望的観測は全く通用しないと思っていい。 こむチャート、特にその年間ランキングとは、『その年を代表する作品の曲がそこに名を連ねるべきもの』だとあたしは思う。 『ただの楽屋オチ』がそれに相応しいのか、もう一度冷静になって考えてほしい。 ……………それともあたしの考えがただ古臭いだけなのだろうか? |